
- 移住年
- 2020年
- 職業
- 国際交流施設「東山手『地球館』」館長
「自分を求めてくれる場所に帰ろうかな」「必要としてくれているから、今もここでお仕事をさせてもらってる」。そう語るのは、Uターンで長崎県長崎市に暮らしながら、東山手町の国際交流施設「東山手『地球館』」館長を務める青栁智子さん。
東京への憧れを胸に上京し、充実した都会生活を経験した後、再び長崎に戻るまでの心の軌跡。そして今、彼女が長崎市で感じている“等身大の自分でいられる時間”とは何か。
長崎で生まれ育った青栁さんが再発見した「長崎のアタリマエ」について話を聞きました。
キラキラの向こう側にあった“葛藤”──東京から長崎市へ戻るまで
福岡生まれ長崎育ち、大学時代を東京で過ごした青栁さん。アナウンサーのようなきらびやかな世界に憧れていた時期もあり、「自分が求めるものはすべて東京にあると思っていた」そうです。テレビの中の世界に強く惹かれ、「こういうものを伝える人たちってどういう環境で働いているのか?どうやってこれが作られているのか?」そういうものを知りたいとの思いから上京を決意。憧れと期待に胸を膨らませていたと話します。
東京では、アルバイトや私生活でも多くの経験を積みながら、楽しく充実した日々を送っていました。その一方で、「自分がいなくても世界は回る。私じゃなくてもいい」という葛藤を持つようになったのだそう。そう感じたとき、「悔しさや挫折を経験したというより、自分を求めてくれる場所に帰ろうかなと思った」といいます。母親の「それなら一度、長崎に帰ってきたら?」という言葉が最後の一押しとなり長崎市へのUターンを決めました。

長崎市で過ごす毎日が教えてくれること
長崎市で暮らす青栁さんのお気に入りの場所は「鍋冠山(なべかんむりやま)公園」。
人が少なく、のんびりとした雰囲気の中で、自分をリセットできる場所だと言います。「長崎でも人と関わりながら生活しているけれど、ふと一人で考えたいときにここに来る」と語るように、自然を感じる環境の中で静けさに包まれることが、青栁さんにとって大切な時間になっています。
そんな青栁さんにとって「アタリマエの時間」とは、「自分が自分でいられる時間」のこと。東京にいた頃は、誰かに合わせて“つくった自分”で生活していたこともあったと振り返ります。しかし長崎に帰ってきてからは、「自分に正直でいることを大事にしている」ようです。
「長崎で暮らしていく中で、私が話す言葉は、いつも自分の気持ちをちゃんと表しているなと思います」そう言葉を重ねました。

人とのつながりが生む“日々の安心感”
長崎市での暮らしの中で、青栁さんが心地よく感じているのは「人との信頼感」。「長崎はお店も限られていて、行く場所もある程度決まってくる。だからこそ“この前も来てくれましたね”とか、ちょっとした会話が生まれやすい」と話します。
「今日もいい天気ですね」お客さんと店員さんのささやかな言葉のやりとりが、コミュニケーションを育む。東京では感じることのなかったそんな感覚が「誰かにちゃんと料理を提供してもらっている感覚」や、「信頼できる人から食事をいただける実感」につながって、日々の暮らしに安心感をもたらしてくれると笑顔で語ってくれました。
「長崎市は人は少ないですが、ある意味コンパクトな街」。ほどよい距離感で人が関わり合う街だからこそ、自然な人と人との関係が育まれているのです。

自分の感情をそのままに──受け入れてくれる街・長崎市
「東京では、人前で泣くことに抵抗があった」と話す青栁さん。けれど長崎市では「悲しいときや寂しいときも、自分の感情をそのまま出せる」ようになったといいます。「そういう自分を受け入れてくれる街だからこそ、自然体でいられる」「感情を出すことによって、むしろ信頼してもらえる」とも語ってくれました。
現在は、国際交流施設 東山手「地球館」の館長として、多様な価値観にも触れる日々。「長崎に住んでいる外国人の方とのつながりや、今までの自分のつながりを通して、国際交流をしています」と笑顔で話します。
そんな青栁さんが暮らす長崎市では、”世界平和”を考えるタイミングも多い。「私にとっての”世界平和”は一人一人が、自分に納得して生きられること。その人がありたい姿で生活ができること 」。等身大のまま暮らせる場所、長崎市。青栁さんの言葉の端々からは、そんな日常の中で見つけた静かな確信が伝わってきます。
自分らしさを日常の中で体現できる長崎市での暮らしは、誰にとっても”自分らしさ”に気づくヒントを与えてくれるのかもしれません。
