
- 移住年
- 2005年
- 職業
- 地域おこし協力隊
友人の縁で訪れた南島原市に魅了され、移住を決意した中尾さん。 飲食業や農業、ライターとしての経験を積み、現在は移住コーディネーターとして活躍中。地域資源を活かした暮らしや、移住者目線でのサポートを通じて、南島原の魅力を発信しています。 偶然の出会いから南島原市へ移住し、飲食業や農業、移住コーディネーターとして挑戦を続ける中尾さんに迫ります。
「遊びに来ただけ」が、移住のきっかけに
福岡県で生まれ育った中尾春奈さんにとって、「南島原」という言葉は遠い存在でした。親戚もおらず、土地勘もまったくありません。そんな場所と出会うことになったのは、学生時代の友人が実家の家業を継ぐために帰郷したことがきっかけでした。
「遊びに来て初めて南島原を知りました。割烹料理店を営む友人の家族に迎え入れてもらって、仕事を手伝っているうちに、自然と地域の人との交流が広がっていったんです」
友人の家族は面白くて温かく、人間味にあふれていました。その雰囲気に触れるうちに「もっとこの人たちの中に浸かってみたい」と思うようになったといいます。
当時はまだ「移住」という言葉が今ほど身近ではなく、今のように市や県のサポート体制が整っていたわけでもありませんでした。だからこそ「どうしたらいいのか」と迷う場面もありましたが、地元の人々が自然に手を差し伸べてくれたことが大きな支えとなりました。
もちろん誰かに「住んでほしい」と言われたわけではありません。それでも福岡から片道3時間をかけて通い、往復6時間を費やしてでも手伝いたいと思うほど、南島原には不思議な魅力がありました。やがてそのお店で従業員として働き始め、気づけば南島原に“勝手にハマっていた”のです。

経験を重ねて見えた道
割烹料理店で約10年間勤務し、接客から厨房まで幅広く経験し、調理師免許も取得しました。
「まかない料理では力仕事系のちゃんぽんが得意で、よく作っていましたね」
その後は農業のアルバイトやライター活動、南島原市スポーツ協会での事務局勤務など、地域と関わる仕事に次々と挑戦しました。多彩な経験を積み重ねる中で「この町で生きる」という実感が徐々に深まっていきました。
そして現在は、地域おこし協力隊の一員として移住相談や空き家の利活用を担当する「移住コーディネーター」として活動しています。
「移住を考えるときのポイントは、実際に自分が経験してきたことばかりです。昔の自分を思い出しながら、“最初に知っておきたかったこと”や“都会とここは違うよ”という点を、できるだけリアルに伝えるようにしています」
さらに、19年暮らしてきた経験そのものが大きな説得力になっています。
「細かい説明よりも、私自身がここで幸せに暮らしている姿を見てもらうのが一番わかりやすいと思います。南島原は本当に豊かに暮らせる場所なんですよ」 当時は移住者もまだ少なく、「早すぎるね」と驚かれることもありました。それでも支えてくれる人々が身近にいたからこそ安心して根を下ろすことができ、その経験が今、移住希望者への寄り添いにつながっています。

南島原で見つけた“豊かさ”
現在暮らしているのは島原半島南端の口之津(くちのつ)町です。2階から海が見える一軒家を移住仲間とシェアし、犬や猫とともに暮らしています。「朝日は出勤時に、夕日は帰宅時に見られるんです。自然に囲まれた景色は本当に贅沢ですよ」
日常の楽しみも尽きません。魚を釣ってさばいてタタキにし、畑では野菜を育てて収穫を分かち合い、平日の夜には友人とバーベキューをしながら音楽を楽しみます。
「都会ではお金を払わないとできないことが、ここでは日常の中にあります。家で過ごす時間が楽しいというのは、福岡時代にはなかった感覚です」 さらに、地元の人々との距離感も心地よいといいます。「近すぎず遠すぎず、ちょうどいい距離感で接してくれる。移住仲間も口を揃えてそう言います。自然体でいられる関係性が、この町の魅力ですね」

経験を、次の移住者へ
19年前訪れた場所は、今では中尾さんにとって欠かせない居場所になりました。飲食業、農業、ライター、スポーツ協会、そして現在の移住コーディネーター。多様な経験と人の温かさに支えられた日々の積み重ねが、今の活動につながっています。
「任期は残り1年余り(撮影時)ですが、今は一人ひとりに寄り添ったサポートができることをありがたく思っています。私が優しく接してもらったように、今度は移住者の方にそれを返したいです」
将来の具体的な姿はまだ模索中ですが、挑戦する気持ちは変わりません。
「これまでのように新しい経験を重ねながら、自分や周りの人を幸せにできる生き方をしていきたいです」
新しいチャレンジを恐れず、積み重ねていくことで自分らしい暮らしをつくる。それが中尾さんの歩みであり、これから移住を考える人への大切なメッセージでもあります。
南島原での暮らしは、都会では得られなかった「豊かさ」を与えてくれました。その実感を胸に、中尾さんは今日も新しい移住者へ温かい言葉を届けています。
