
- 移住年
- 2003年
- 職業
- 陶芸家
山形県出身の陶芸家・長瀬渉さん。妻の学びをきっかけに波佐見町へ拠点を移し、陶芸を軸にしながら、ものづくりや食、音楽、コミュニティづくりへと活動の幅を広げてきました。「場所より、人との関係性を大切にしたい」と語る長瀬さんが、波佐見町で積み重ねてきた暮らしと挑戦、そしてその先に見据える次の世代への想いに迫ります。
移住は目的ではなく、暮らしの延長にあった
長瀬さんが波佐見町に移り住んだ理由は、「移住しよう」と強く意識した結果ではありませんでした。
きっかけは、学生時代から付き合っていた妻が、絵付けの作家を目指し、有田窯業大学校に通うことになったこと。学びの場を選んだ妻の挑戦に寄り添うかたちで、夫婦は長崎へと拠点を移しました。
「特別な決断というより、生活の流れの中で自然にそうなった、という感覚ですね」
知らない土地での新生活に、不安が全くなかったわけではありません。それでも、日々の暮らしの中で少しずつ人と出会い、関係を築いていくことで、波佐見町は「ただ住む場所」から「居場所」へと変わっていきました。
現在は陶芸家として創作を続ける一方で、ものづくりを軸に、人や学びが集まる場づくりに取り組んでいます。移住はゴールではなく、あくまで暮らしの一部。その考え方が、長瀬さんの生き方の根底にあります。

「どこに住むか」より「誰と、どう関わるか」
長瀬さんは、自身の移住経験を振り返りながら、こう語ります。
「正直、場所そのものにそこまで意味はないと思っています。ここだから成功した、という感覚はなくて。東京にいても、山形に帰っても、きっと違う形で同じようにやっていたと思います」
どこにいても、人との関係性を築き、コミュニティをつくることができる。その背景には、「仲間」を大切にする価値観があります。
「家族であっても、仲間という意識は必要だと思っていて。どう関係をつくるか、どう育てるかをずっと大事にしてきました」
仕事と暮らし、創作と日常は切り離されたものではなく、すべてが連続している。人と関わること自体が活動の原動力になっている点は、長瀬さんらしさの一つです。

波佐見町という場所と、焼き物の奥深さ
長崎県中央部、佐賀県との県境に位置する波佐見町。
日本の棚田100選に選ばれた鬼木棚田(おにきたなだ)や、新しいカフェやギャラリーが並ぶ西ノ原エリアなど、自然と文化が身近に共存する町です。400年以上の歴史を誇る波佐見焼は、伝統を受け継ぎながらも、現代的なデザインで多くの人に親しまれています。
長瀬さんの作品には、そうした日常が自然に反映されています。
動物が好きだから動物をモチーフにし、釣りが好きだから魚のかたちが増えていく。暮らしの中で感じた「楽しい」「面白い」が、そのまま表現へとつながっています。
「作風を決め込んでいるわけではなくて、自分の興味や暮らしが、そのまま器になっている感じですね」
焼き物は、土や炎と向き合う、思い通りにならない世界です。
だからこそ、そのハードルを越えたときの手応えは大きい。 「簡単にはいかない分、越えたときにちゃんと重みが残る。評価してもらえたときは、一攫千金じゃないけれど、積み重ねてきた価値を感じます」

食卓から生まれるコミュニティと、次の世代へ
長瀬さんが、創作と同じくらい大切にしているのが「一緒に食べる時間」です。
「昼も夜も、基本はみんなで一緒に食べます。お腹いっぱいご飯を食べられることって、安心して頑張れる土台になるんですよね」
毎日顔を合わせ、同じ時間を共有することで、言葉にしなくても伝わる価値観が少しずつそろっていきます。
「どんなハイレベルな会議より、食卓の方がよっぽどハイレベルだと思っています」
年に一度、約180人規模のライブイベントも開催してきました。文化祭のような感覚で始まった取り組みは、近年では音楽を使ったキャリア教育や、若い世代が自分の可能性に出会う場へと広がっています。
「40代は“黄金期”だと思っています。これからは、自分に関わる人たちの目標に、どれだけ寄り添えるかを大事にしたい」
この空間を「学校」としてではなく、「自分の家」のように使いこなしてくれる次の世代が育ってほしい。
陶芸家としてのキャリアを積み重ねながら、人が集い、交わり、成長していく場を育てていく──。
「他人というスパイスがあると、暮らしがもっと面白くなると思うんです」
波佐見町で続く長瀬さんの挑戦は、今日も人と人とのつながりの中で、静かに、そして確かに広がっています。
