2025.12.24

移住者体験談

【小値賀町】ふるさとで見つけた“自分の居場所”──仲間に託された思いを胸に長崎県小値賀町で挑む日々

都会での挑戦、そして小値賀へ帰る決断

高校卒業まで小値賀島(おぢかじま)で過ごした、藤田耕司さん。島の同級生たちの多くが「島を出て都会で頑張るのが当たり前」、という雰囲気の中で育ちました。当時60~70人いた同級生のうち、卒業後も島に残ったのはほんの数人。藤田さんも当然のように外の世界を目指し、大阪の調理師専門学校へと進学しました。

卒業後は福岡のホテルに就職。念願の飲食の現場に立ちましたが、仕事はテレビドラマのように華やかなものではなく、厳しさの方が際立つ世界でした。「ここで一生続けるのは難しい」と感じるようになり、思い切って転職を模索。そこで出会ったのが“介護”という新たな道でした。知人からの紹介で面接を受けたことがきっかけで、まったく違う世界に飛び込み、気づけば15年以上にわたって介護の現場に身を置いてきました。

そんなある日、母親から「おばあちゃんの介護が大変」という電話が届きます。悩み抜いた1か月。都会での生活を続けるか、島へ戻るか。葛藤の末に選んだのは「小値賀へ帰る」という決断でした。戻ってみると、学生時代に感じていた小値賀島とはまた違った景色が広がっていました。「都会では時間に追われるばかりだったけれど、島ではゆったりと流れる時間が心地いい」と振り返ります。

取材に応じる藤田さん

島で始めた飲食の仕事と“仲間とのつながり”

帰郷後、藤田さんに転機が訪れます。知人から「キッチンカーをやってみないか」と誘いを受けたのです。介護から飲食へ、再び原点に戻る挑戦でした。最初は不安もありましたが、「やってみたい」という気持ちが背中を押しました。その経験を通じて「やっぱり料理を通じて人を喜ばせたい」「自分の店を持ちたい」という思いが膨らんでいきました。

現在営む飲食店「KONNE」はオープンキッチン。カウンター越しにお客さんと顔を合わせ、料理を出しながら世間話に花を咲かせます。「お客さんは友達のような存在。何かしてあげたい気持ちが自然と湧いてくる」と話す藤田さん。お客さんとの距離が近いからこそ、島の“おもてなし”の文化を体現できるといいます。

「さよなら」ではなく「また来てね」と別れ、帰ってきたら「おかえり」と迎える――。小値賀で生まれ育った人にとっては当たり前かもしれませんが、都会での生活を経た藤田さんにとっては心に響く習慣でした。そんなやりとりが自然に根付いていることが、島の飲食店の魅力であり、藤田さんが大切にしている空気感です。

藤田さんの経営するKONNE lunch & cafe

世界遺産を望む暮らしと、仲間に託された思い

藤田さんの実家には、親戚が手作りしたウッドデッキがあります。そこからは海と世界遺産・野崎島を一望することができます。小さい頃からこの風景とともに育ち、海で泳いだり、夏はバーベキューをしたり。「こんな場所は他にない」と誇らしげに語ります。

Uターンを決めたとき、同級生たちが送別会を開いてくれました。「自分たちは家庭や仕事で帰れないけれど、小値賀を頼む」。その言葉を聞いた瞬間、思わず涙がこぼれたといいます。仲間の思いを託されたことで、「島で頑張ろう」という覚悟がより強まりました。

お店を構えて3年。気軽に立ち寄れる場所でありながら、同級生や地域の人たちが集まる“交流の場”にもなりました。「また来たいと思ってもらえる場所をつくりたい」という藤田さんの思いが、島の日常に少しずつ浸透しています。

取材に応じる藤田さん

小値賀で感じる“人とのつながり”と未来への思い

小値賀での日々を支えているのは、人とのつながりです。幼稚園から中学校まで一緒に過ごした同級生は、まさに「家族以上の存在」。親以上に長い時間を共有してきたからこそ、お互いに支え合う関係が自然と続いています。

それだけではなく、近年は島に移住してきた若い世代との交流も生まれています。「若い人や移住者と一緒に小値賀を盛り上げていければ」と藤田さんは語ります。自分の店を訪れる移住者や観光客とも積極的にコミュニケーションを取り、彼らにとっても「居心地のいい居場所」になれるよう努めています。

人口減少は大きな課題です。しかし「何とかしよう」と動いている若者や、地域に根を下ろそうとする移住者も増えています。藤田さんは「お店がその架け橋になれれば」と願いながら、今日もキッチンに立ち続けています。

「笑顔が自然に生まれる場所をつくりたい。それが積み重なって“小値賀の当たり前”を未来につなげていくんだと思います」。

取材に応じる藤田さん